教室ブログ 2009/3

迷い道-ここ過ぎて悲しみの町へ

投稿日時:2009/03/29(日) 12:40

 視線11での山﨑先生の絵を見てから,自分の絵にも,あの発色のよさを求めるようになりました。圧倒的でしたから,そこから学びたかったのですね。
 しかし,これが迷い道への入り口でした。頭であれこれ考えるのですが,どう描いていいのかわからなくなってきました。
 教室では,前の週の椿がいまひとつでしたので,翌週も続けて椿の絵を描きました。しかし,どうもいけません。前よりも後の方がつまらない絵になっているのに,途中で気づきました。塗り絵のようになってしまって,これは自分の絵ではないと感じました。こういうときはどうしたらいいのでしょう。
 塗り絵になって,先が続かなかった絵をご覧ください。



 混色は避けたのですが,花の美しさ,生き生きしたところが,感じられません。無難に色を塗っていただけです。それも一度塗ってしまうと,その上に色が重ねられなくなってしまいました。心理的に,そんな気分だったように思います。
 ときには,自由に,絵がどんどんできあがってゆく感覚をもつこともありますが,それとは違う不自由さに追い込まれた感じです。これは全然ダメだと思いました。

 お花を先生にいただいて,家でもう一度ゼロからチャレンジするつもりでいましたが,なんだか疲れました。翌日の夜にでもと思ったのですが,よくないことは重なるものです。土曜の夕方に帰ったら,花がぽとりと落ちていました。なんだかめずらしく,たいしたことでないのに,悲しかったですね。
 ここ過ぎて悲しみの町へ…そんなことをつぶやいて,描くのを断念しました。

 しかし,生命力のすばらしさ! 数日すると,落ちた花の後ろにあった蕾が開いてきたのです。あっと驚くような,鮮やかな,みずみずしさです。

 時間が余りなかったので,今度は淡彩画で描きました。淡彩画というのは,水彩画の一種です。すべてに色を塗るのではなくて,一部に彩色します。この教室では,形をとることを覚えるために,またぱっと見た感じで色をつけることを学ぶため,デッサンの代わりにとり入れています。

 今度は,息切れせずに一気に描けました。もう一度チャンスを得た感じで,うれしかったのですね。そのとき描いたものが,下の絵です。



 色をつけるところまで含めても,30分程度でひとまずの完成です。3時間ちかく苦しんだ油絵よりも,こちらの方が,いいですね。
 頭で考えても,どうもうまくいきません。油絵の場合,思いのままに進むだけではすぐに行き詰ります。技法をしっかり身につけたなら,それを意識せずに,自然に描いていけるようになるものなのでしょうか。まだまだ先が長そうです。

 しかし,すばらしい油絵にあるような,発色のよさと美しい色への憧憬は絶ちがたいものがあります。
 淡彩画は,何らかのきっかけになるのでしょうか。
 次の教室のときに,淡彩画を先生に見ていただいたところ,いいね,しばらく淡彩だけ描いていれば…といわれて,複雑な気分でした。
 油が迷い道に入っているのは,先生もよくわかっていたようです。

すごい人の参加

投稿日時:2009/03/24(火) 23:28

 3月から,新たなお仲間が増えました。ホームページから入会してくださった方です。
 初心者で,見学のときに,道具のことをお聞きになって,翌週購入して,新品の道具で描きはじめました。

 初めてですので,どう描いていいのかよくわからなかったはずですが,例によって,先生がよりそって,好きな色で形を取って,といった感じですすめていくうちに,いいね,という声が聞こえてきました。
 しばらくするうちに,すごいすごいという声に変わってきました。

 何が起こったのかは,写真で,はじめて描いた絵を見ていただくのが早いと思います。
 恐るべき才能の方が加わってくださったと感じました。



 本当に,初めてなのですか,と皆さん驚いていました。いきなり描いて,すでに,感覚はピカ一ですね。色の選択に迷わなかったのでしょうか。適当に描いただけですとおっしゃるのですが,なぜこんな風に描けるのかわかりません。
 セザンヌの絵がお好きだとのこと。センスが抜群にいいのですね。

 一回目だけなら,フロックということもあります。しかし,その次の教室での作品を見れば,偶然の成功ではないことが一目瞭然です。



 感覚は同じですね。鮮やかな色彩が印象的です。そして,葉の色は,原色のチューブの色そのままの塗り絵風とは次元が違います。
 いきなりやってきて,すでに完成している方もいるのですね。

 ポール=ヴァレリーは,モノを見るときに,ただ見ているのと,それを描こうとして見るのでは,見方が違うのだと指摘していましたけれど,それは形をとるときのことですね。私たちは,知っていると思ったものの形が,絵に描いてみようと思ったとたんに,何も知らないことを感じます。
 絵を描き始めると,たとえば遠くのビルがただの長方形でないことに目が行きます。水平の屋上ではなくて,それがどういう角度で傾斜しているのか,ぼんやりと眺めている自分に気づくことがあります。楽しい観察を,自然にしているのですね。心の中でのスケッチのような感覚を覚えます。

 どうやら,形だけでなくて,色彩についても,同じように,いろいろな観察が自然に行われているのでしょう。絵に描こうと思って見ると,実際の葉の色はチューブの色ではなくて,別の色です。もちろん,目に見える色をそのままに描くことはほとんど不可能です。そして,それを試みようとするのは,あまり面白いものではありません。しかし,美しい色の組み合わせというものがあるものです。それを感じ取ることはとても大切なのだろうと思います。
 絵を描いていようがいまいが,色彩感覚の優れた人はいます。目の訓練なのだと思うのですが,これは教室ですごす時間だけのことではありませんね。
 それにしても,驚きました。
 新しい感覚の方がいらっしゃると,それまでの会員も刺激を受け,活気がでてきます。
 本気で絵を始めたい方,すでにお描きになっている方の参加を待っています。

再訪「視線11」

投稿日時:2009/03/17(火) 14:28

 銀座アートホールの展覧会「視線11」にまた行ってきました。
 今回は,山﨑弘先生の3枚の絵を見ることが目的でした。
 3つの作品は,「ポプラの道」20号F・縦,「十勝岳-初夏」4号F・横,「青麦の頃」20号P・横 です。

「青麦の頃」は,手前の薄緑の青麦の畑の上に,鮮やかなオレンジ色の土の畑,その先から丘陵となり,その上に少し暗い雲と青い空が広がる風景です。
 丘陵には,左から林が走り,右側から細い道が上っていき,その交わる先の稜線に雲が接近しています。絵を見る我々の視点が,自然にその稜線と雲のところに収斂していくように感じました。

 相変わらず,離れてもくっきりと見える絵です。
 前回「視線11」を訪れてから,周りの風景を注意して見るようになりました。世の中は,色彩の対比が明確なところと,そうでないところが混在しています。ぼんやりと見えるものもありますが,しかし,多くのものは,くっきり色彩が浮き上がっています。自然そのものがそうなっているのですね。

 先生の絵がくっきり見えるのは,色の鮮やかさのためだと思いました。
 色の鮮やかさは,混色の少なさによっているようです。何色も混ぜると,鮮やかさがなくなってきます。チューブの色そのものはかなり鮮やかですが,生の色でない場合は,最小限に的確に混ぜる必要がありそうです。
 どこに,どんな色をのせたらいいのか,その色をどう作ればいいのか,先生はちゃんと知っているようでした。しかし,これは遠い道のりだと感じました。

 今回の3点は,すべて北海道の風景ですが,その共通テーマとは別に,画面構成の共通性もあるように思いました。

 薄緑の畑の領域は,傾いた境界線でその上の畑と接していますが,オレンジの畑の上辺は水平になっています。そこが,画面を二分していて,上の領域に比べて,下の領域がやや大きい構成です。
「十勝岳-初夏」も「ポプラの道」もほぼ同じような比率で画面が上下に分割されています。
 今回の3作品は,画面を上下に分割して構成するバリエーションのようでもありました。

「ポプラの道」は,霧の白い帯の下限が画面を分けています。
 画面の下からグレーの道がうねりながら下って行き,その右脇の,木々の向こう側に隠れた家に,我々の視点が回っていきます。そこからは,なだらかな裾野が上りの傾斜になり,その先に霧の帯,その上の山は,湿気を含んだ空気につつまれてぼんやりと見えています。

 もうしばらく見ていたかったのですが,次の予定がありました。秘密は,まだ解明できていません。

 3月13日の教室では,椿がモチーフでした。4号に大きく花を描いたものの,赤い花弁がくすんで,本物を前に立ちつくしました。山﨑先生は,花弁を一枚一枚独立して描きすぎていること,そして,混色を指摘されました。
 ペインティングオイルを適度に混ぜたバーミリオンを上にのせると,一気に花弁が浮き上がってきました。
 混色を防ぐには,パレットに同系色の色ごとに,整然と絵の具を並べること,筆をたくさん用意して使いまわさないこと,筆を柔軟ないい状態に保持するように,石鹸で何度も泡立つまできれいに洗浄すること,との指導がありました。
 基本的なことばかりです。あっと思いました。
 あくまでも先生は,基本に忠実だということですね。

 遠くからでも,くっきりと浮かび上がる絵を見て,その秘密を探ろうとして,何か特別な方法があるのかと思いましたが,まずはマイナス面を排除することから始めないといけないようです。
 それには,基本を忠実に守ることからはじめる必要があると痛感しました。

視線11

投稿日時:2009/03/10(火) 21:18

 今回は,渋谷油絵教室でご指導いただいている,山﨑弘先生の展覧会のご紹介をさせていただきたいと思います。
  私たちの絵画教室のトップページにある,雲が印象的な絵を描いたのが山﨑先生です。
  先生を中心にして,この会が成り立ちました。その後,目崎先生が加わってくださって,渋谷油絵教室も安定してきました。

  ここ数回の教室のご指導が連続して目崎先生だったのも,山﨑先生が展覧会用の絵に集中していたためです。
  9日に,その成果を見に行ってきました。「視線11」です。
  展覧会場は,銀座アートホール(銀座8丁目110番地 http://ginza-arthall.com/ )で,3月9日(月)~15日(日) 開催,時間は11:00~18:30(最終日は16:00まで)です。

  「ポプラの道」20号F・縦,「十勝岳-初夏」4号F・横,「青麦の頃」20号P・横 の3点が出品されています。
  ご存知の方もいらっしゃると思いますが,4号というのは,およそ葉書4枚分の大きさです。FとかPとかいうのは,キャンバスの縦横の比率が少し違うのですね。同じ20号でも,Fが72.7×60.6 センチで,Pが72.7×53.0センチです。Pの方が細長いキャンバスです。もっと細長いのが,Mで,20号Mだと72.7×50.0センチになります。
  それぞれ,Figure(肖像),Paysage(風景),Marine(海の景色)の略だそうです。

 「ポプラの道」は黒い額に入って,しっとりした仕上がりです。画面中央の下から,グレーのくだる道が描かれ,その右側にセピア風の懐かしい茶系に色どられた木々,その向こうに家々が並び,遠くに山が見えます。そして,山の麓を霧が帯のように白くおおっていて,湿った空気が全体をつつんでいます。画面の左側中央にポプラが立っているのですが,ただ自然にそこにあるだけなのに,画面を引き締めています。

 いつものように,近づいて見て,離れて,また近づいて,そんなことを繰り返しました。やはり,そうなのか,という感じでした。
  はっきり輪郭が描かれているわけではありません。強い原色など使われていません。ところが,離れて見ても,全くぼやけない風景がそこにあります。自然の風景もそうですね。遠くにあっても,あくまでもはっきりと見えるものは見えます。

  先日,私たちは文化祭で絵を展示しましたが,作品がぼやけているのですね。暗い照明が作品には辛かったのですが,それは言い訳だとわかっていました。悲しいことに,少し離れただけでぼやけるのです。インパクトがあればいいのか,というとそうでもなさそうです。何がいけないのでしょう。難しい問題です。

  展覧会に行くと,いつも,遠くから私たちを呼び込むような,魅力的な作品があります。遠くにあっても目立つのです。近づいても,そこに特別な強烈さがあるわけでもないのに,なぜなのでしょう。

 「青麦の頃」は,イエローオーカー(黄土色)で下塗りされ,その上に,バーミリオン(朱色)が重ねられているとのこと。その上に鮮やかな風景が描かれています。キャンバスの目の粗さが,下に塗られたバーミリオンをドットのようにみせて,画面全体が輝いているのです。ここが特別の場所であるように,後光が指しているように,さわやかな空気が輝いています。
  バーミリオンの下にイエローオーカーを塗らないと,あの色にならないと山﨑先生から聞きました。しかし,これは秘密の一端に過ぎません。

  絵を描き始めると,絵の見方も変わってきます。期間中に,もう一度出かけて,さらなる秘密を探ってきたいと思っています。

文化祭参加

投稿日時:2009/03/03(火) 16:58

  私たち渋谷油絵教室が,日ごろお世話になっている上原社教館で,文化祭がありました。
  2月28日と3月1日のことです。今回,私たちの作品を展示して見ていただく初めての経験となりました。貴重な機会を与えてくださった社教館と実行委員の方々,ボランティアの方々に,感謝しています。

  いずれ私たちの作品もご覧いただきたいと,思っていましたが,ささやかなスタートがきれて,うれしかったですね。しかし,よかったよかったではすまない問題が出てきています。あんがい深刻な感じさえしました。

  作品を見ていただくというのは,励みになるものなのでしょうか。本来はきっとそうなのです。私たちの作品をご覧いただく姿を見たら,感激したかもしれません。ところが残念ながら,会員は誰も展示の前にたたずんでいるわけにもいかなかったのです。
  みな仕事もちで,文化祭の委員の方々にお世話になるばかりで,私たちは,何も貢献できずに,展示しただけでした。心苦しい気持ちになります。

  せっかくの機会でしたのに,やるべきことをやらなかったために,充実感がいまひとつでした。こういう活動のときは,できることは何でも,積極的に活動しないといけませんね。そういう意味で,仕事もちの集団が,どういう形で作品発表をしていったらいいのか,考えさせられました。

  それから,新しい発見もありました。私たちはごく普通の人達の集まりなのですが,こういう機会なので,教室で描いた評判のよかった作品をもってくると思っていたら,11枚のうち5枚は,自宅で描いてきたものでした。自分ではいけてると思っているのかもしれません。人の目を意識すると,選択に個性が出るのでしょうか。自己評価と他人の評価がずいぶん違うようです。
  展示は,適当に並べる過程で,あっさり配置も決まって,初めてのことなのに慣れた感じです。ご覧ください。一番小さいキャンバスが4号です。



 27日の展示が終わって,雑談をしてお別れしたのですが,ふと思いたって,がらんとした部屋に戻りました。遠くから眺めて,近づいていき,また離れて,そこで見ていると,まだまだ先が長いなあ,と思います。
  作品が輝やいて,こちらを引き込むような絵というものがあります。私たちの作品は,それなりによくできていても,どうも何か弱いですね。  自分たちの作品を展示するのは,自己満足というよりも,自らの至らなさを痛烈に自覚する機会と思ったほうがいいかもしれません。
  もう一度,どういう形で作品を発表したらいいのか,考えたいと思います。

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